おばあちゃんと僕
2020年7月3日。
96歳で祖母が永眠しました。
ここまで関係の近い人が亡くなるのは僕自身初めての経験で、葬儀が終わり気持ちも落ち着いてきたので、感じたことを書こうと思います。
おばあちゃんと僕
おばあちゃんは親父とその兄、僕にとっては伯父に当たる人の母親になります。
おじいちゃんは僕が生後間もない頃に亡くなったので、ほとんどおばあちゃんとの思い出しかありません。
おばあちゃんは会いに行くと決まって
「大きな兄さんだことよー」
「優しい兄さんだことよー」
が口癖で、僕を見るたび嬉しそうにしてくれます。
そんなおばあちゃんを見て僕も嬉しかったです。
また男の孫が僕しかいないということもあり、すごく可愛がってくれました。
裁縫が上手で自分で着物を作ったり、僕には浴衣を作ってくれて。
賞をとったりすると、喜んで賞状を飾ってくれて。
進学するたびにすごく喜んでくれて。
親の転勤で会いづらくなった時も泣いてくれて。
電話したり会いに行くたびに喜んでくれて。
他にもたくさん思い出があります。
いつも自分のことより孫のことを第一に考えてくれる優しいおばあちゃんで、そんなおばあちゃんが僕は大好きでした。
ガンの宣告から入院
ちょうど1年前におばあちゃんは耳のガンが発覚し、高齢ということもあり手術できる体力もなく、余命1年を宣告されました。
それからは通院しながら家で過ごしていたのですが、亡くなる1週間ぐらい前に体調を崩し、医療センターへ入院することに。
ただコロナの関係もあり、看病できるのは1人のみで、他の人は面会もできない状態になるので、親父が泊まり込みで看病することになりました。
医療センターに入るということは、退院しない限り会えないということを意味していたので、その時に僕は次会えるのは亡くなった時かもしれないと覚悟しました。
亡くなる前日
看病している親父から電話があり
もしかして...
と思いながら電話を取ると
「おばあちゃんに会いたい?」
という言葉でした。
「会いたい。」
もう最後だから特別に会うことが許されたということだったので複雑な気分でしたが、もう会えないと思っていたので、二つ返事でおばあちゃんが入院している医療センターへ。
入院している部屋に入り、久しぶりに見るおばあちゃんはもうほとんど皮と骨しかなく、点滴も打てない状態で酸素マスクを付けて頑張って呼吸をしていました。
いつもの
「大きな兄さんだことよー」
「優しい兄さんだことよー」
というやりとりもできないし
意識がないので声が届かないかもしれないけれど
しっかりと手を握っておばあちゃんに届くような気持ちで声をかけました。
そして面会を終えた後、そのままおばあちゃんの家に泊まりました。
その日に関しては、いつもなら何気なく過ごす1日が、おばあちゃんにとっては必死に生きている1日なんだと思うとずっと落ち着くことができませんでした。
亡くなった当日
次の朝、7時30分くらいに親父から電話がかかってきて、おばあちゃんがもうすぐ息を引き取るという連絡が入りました。
そしてその連絡を受け、おじさんが医療センターへ向かうとすぐに息を引き取ったそうです。
死亡診断書や色々な手続きがあるので、2時間後ぐらい経ってからおばあちゃんが家に帰ってきました。
布団を敷き、おばあちゃんを寝かせた後、おばあちゃんを見ると、ただ寝ているようで今にも起きてきそうな表情をしていて、安らかに天国へ旅だったんだなと感じました。
覚悟していたこともあり、意外と冷静に見ることができ、
「おかえり。ゆっくり休んでね。」
と声をかけお線香をあげて、しばらくその場でおばあちゃんを見て、その後、葬儀屋との話し合いに参加させてもらえたので、棺や額縁や写真などを選び、納棺を行いました。
通夜・告別式
通夜・告別式はコロナの関係で、一般の方はお焼香のみの参列で、遺族や親族のみ間隔を開けて座り行いました。
普段ならある通夜振舞いなどもなく、あっさりとした通夜・告別式になりましたが、出棺前の最後のお別れでは、今まで冷静でいられたことが嘘のように、色々な思いが一気にこみ上げてきて涙が止まらなくなりました。
その後、火葬場で骨だけになったおばあちゃんを見て本当にもう会えないんだなと思いながら、そのままお墓へ納骨して、おばあちゃんの家に戻りました。
家族が集まる
葬儀が終わり、初七日までおばあちゃんの家にいたのですが、初めてこんなに長く自分の家族、いとこやその家族と同じ時間を過ごしました。
みんな大人になり、それぞれの生活があるので昔みたいに集まれないけど、これもおばあちゃんのことだからこそ集まることができ、それだけおばあちゃんの存在が大きかったんだなと実感しました。
そして色々なことを話たりして過ごして、改めて家族のありがたみを感じました。
さいごに
おばあちゃんには感謝してもしきれないぐらい可愛がってもらいました。
コロナがなければもっと会いに行って、もっとおばあちゃん孝行をしたかった気持ちは正直あります。
そして僕の中でポツンと穴が空いた感じになってしまいましたが、最後に会えてちゃんとサヨナラができたことは良かったです。
大正、昭和、平成、令和と4元号を生きて、ずっと家族を守ってきたおばあちゃんに感謝するとともに、おばあちゃんが守ってきたものを大切にして生きないといけないと改めて思いました。
おばあちゃん今まで本当にありがとう。
天国でおじいちゃんと一緒にゆっくり休んでね。